大阪泉州地方の秋祭りは 9月14、15日の岸和田祭りを皮切りに岸和田山手地区、貝塚市、泉佐野市の一部地域 泉南郡田尻町、泉南市の地区は10月9、10日 又阪南市の各地区は10月10、11日に勇壮、優雅に執り行われます。 大阪泉州地方の秋祭りはだんじりがとても有名ですが、この地域はやぐらが主流です。 大屋根、小屋根や彫り物はだんじりと変わりませんがやぐら節が引き手皆で唄われ、笛の音・太鼓と多彩な音楽性に飛んでおり素朴かつ優雅な秋祭りを楽しんでおります。

 また、泉佐野から南下すると祭りのスタイル、音頭、笛 太鼓等の囃子も幾分変わっています。


 泉州地方南部の秋祭りで曳行される山車(だし)の一種でやぐらといいます


 だんじりと同じく大屋、小屋を持ち巨大な2輪の巨大なこまがあります。 その巨大な2輪の機動性を生かし曳行中に音頭(伊勢音頭、やぐら節)に合わせて 大きく蛇行したり、シーソーの様に上下に上げ下げします。 これをねる、しこるといいます。
 だんじりのような大工方はいませんが、やぐらの前方に音頭取りが乗り、全体の調子を合わせます。 太鼓は、やぐらの後方に設置され打ち手は後ろから歩きながら打ちます。同じように笛のふきては太鼓の後ろにつきます

やぐらについての古文書はほとんどないというのが現状です。 だんじりには300年の歴史がありますが、やぐらの歴史は260,70年ぐらいだと言い伝えられています。

やぐらの根源

岸和田藩主 岡部氏の配下だった地域はだんじりである事。
泉佐野市に流れる樫井川を境にだんじり、櫓に分かれている事。
櫓のごまは京都の鉾、御所車等に作りが似ている事。
上記の事からすれば、昔でいう年貢「税金」はだんじり地区は岸和田、やぐら地区は京都に納められていた可能性があるのでは…と

推測にしかすぎない
と思っていましたが

やぐらの歴史を語る前にまずはだんじりの話から…

 だんじりの起源は岸和田領主岡部公の粋なはからいによって、曳行されるようになった。初期のだんじりは長持に太鼓をのせ、綱をつけみなでひっぱった。
その昔、岸和田旧市北町が泉大津の彫り物のたくさんついただんじりを購入しそこから岸和田のだんじり祭が発展したというのも、知っている人は多いと思います。この泉大津のだんじりというのは今で言う上地車で岸和田のだんじりの起源は上地車にあったといわれています。その上地車の発祥は京都祇園祭に曳行される鉾(ほこ)で日本の至る所に見られる祭の山車はみな祇園祭の鉾から広まったものであるだろうと言われています。その鉾が奈良や和歌山にも広まっていきました。(大阪に行ったのがだんじりですね)

 和歌山には山の中にある神社が多いので和歌山に広まった山車の一部は2輪になってゆきました。これがやぐらです。然るにやぐらの起源は和歌山にありました。そのやぐらが山を越え大阪の方へと広まっていったのです。

 やぐらについての文献は阪南市の波太神社に残っています。それによると、今からだいたい270年前には今の祭の体系が整っていたようです。旧暦の2月と6月の丑の日に祭を行い、6月の祭には、波太神社内にやぐらを曳き入れ夜通し祝いつつ各地区やぐらを曳き帰っていったというものです。このころの祭は荒く「石田の血祭り」、「鳥取の喧嘩祭」としてはやし立てられてきたことを知っている人もいるでしょう。

阪南市下出青年団の方からの情報提供でした。